【 Snow flakes : 5 】
出会ったその日に裸にされた。翌日は雲の上。日をまたいだ丘の上にはお菓子の家。与えられたのはキスと微笑みと子ども部屋。変な薬を飲まされて、倒れるみたいに眠って眠って、起こされたら4日目の夕方だった。
遠慮のかけらもなく揺すられて、重い瞼をあけたその先に、自分を見下ろす伯父がいて、キレイな顔がにこにこ陽気に笑ってた。あたまが痛い。
「美鶴くん、花火を見に行こう」
「…はなび?」
よこはま、よこすか、すみだがわ。時差ぼけのあたまがバカなことをかんがえる。
(そんなわけ、あるか)
拒否権はない、どうでもいい。結局それから1時間も経たないうちに、パトリオットのさんざめく何とかリバーの船の上、ぼんぼん打ち上がる花火を見てた。
「美鶴くん、大きいのが上がるよ。ほら!」
クルーザーの手すりから身を乗り出して、上機嫌の伯父が声を弾ませた。瞬間、ぱぱぱぁぁん!どぉん!とけたたましい音がして、またひとつ、闇夜におおきな花火が飛び散った。ひろい川面に所狭しと浮いた船の上に、至近距離で打ち上がる破裂弾の残骸がちらちらと降り注ぐ。深い紺青の空から舞いおちる火花を、美鶴は伯父の両腕とクルーザーの手摺のあいだに挟まれて、ぼさっと立って見上げていた。
(触ったら火傷するな)
冷めた頭で判断し、自分を狭めていた腕の下をすり抜けて、さっさと青と白のストライプの幌の下へ移動する。
「危ないですよ。伯父さんも屋根の下に入ったほうが」
幌の下から一応忠告はしてみたものの、
「大丈夫だよ、ありがとう。あぁ、綺麗だ。美鶴くんがこれに間に合ってよかったよ。花火は大好きなんだ」
伯父は取り合いもせず、美鶴が逃げた手摺に背中を預けてこっちを向いて、けらけら笑った。屈託のない明るい笑みは、あの日ホテルで甥を面接し検分した冷たい面持ちの伯父とはまるで相容れなかった。美鶴は今日何度目かの、驚きと不審の混じりあった表情をうかべ、
(いい年をして何をしているんだ、この人は)
と内心呆れかえった。そんな美鶴の心中を知ってか知らずか、あぁ綺麗だ、と繰り返す伯父は心底楽しそうで、ワイシャツの背を逸らして頭上を見上げ、次々と打ち上がる花火の数を数えた。
真新しいクルーザーは伯父の友人の持ち物で、伯父の通う大学や会社関係の知人が大勢乗っていた。伯父と同じようにニコニコ浮かれた彼らが、入れ替わり立ち代わり美鶴を見つけては声をかけてくるものだから、美鶴はのべ10人ほどにナイス・トゥ・ミートゥを言った頃にはくたくたに疲れて、火花に構わずこっそりと幌の下から逃げ出した。人と熱気に酔った頬が火照って、両手で触れれば燃えるようにあつかった。
舳先まで逃げたところで、膝ががくがく震えて立っていられず、ぺたりと木の床に座り込んだ。
(しっかりしろ)
震える膝に力を入れようとしたけれど、どうしても立てなくて、またカクンと膝を折って座り込む。喉が渇いた。心臓がドクドクと早鐘を打っていた。どうしてだろうと自問する。ほそい首筋に湿った夜風がひぃやり吹いて、やさしく熱をさらってゆく、その心地よさに自然と目が閉ざされた。
(夢かもしれない)
数日前にも伯母の家の近くで花火大会があった。二階の窓のカーテンの隙間から、ふわっと赤や黄色のひかりに染まる夜空が見えたけれど、自分はそれに何の感慨も抱けなかった。再びガス栓を捻らせないようにと柱に縛られた両手首が、気絶するまで蹴られた肋骨が、ただ、痛かった。あれから何日も経っていないのにと、美鶴は床にへたり込んだまま、そっと自分の両手を持ち上げた。赤く擦れた手首の傷には今、白い包帯が巻かれている。夕方に伯父が取り替えてくれたばかりの清潔なそれには、ご丁寧に油性マジックで伯父の自宅の電話番号と携帯の番号が書かれてあって、間抜けなことこの上ない。
(夢かもしれない)
きゅっとその手を握り締めると、鼻の奥がひりひりした。心臓は相変わらずハイペースで鼓動を刻む。脈拍ひとつごとに何かがしゅわしゅわ、体の奥底から沸きあがってくる気がした。きつい炭酸みたいなそれに胸が焦がされて、頭がぐらついて、気を抜けばそのまま倒れてしまうんじゃないかと思った。
ぱたぱた軽快な足音が近づいてくるのに気がついた。伯父だ、と思って顔をそちらに向けた瞬間、遠慮のひとつもなく両脇の下に腕が伸びてきて、あっという間に抱きかかえられる。美鶴が息をのんだ。
「美鶴くん、見つけた」
浮かれるテノールに抱き上げられて、ワイシャツの肩に軽く鼻先がぶつかった。目の前には伯父の耳。かすかな花のにおい、おそらくは香水の香りがした。その匂いを吸い込めば、再びあの炭酸のような何かが胸の内からわっと溢れて、きしきしと美鶴の胸をしめつけた。
「いなくなってしまうから心配したよ。花火はつまらない?」
「いえ…」
肩口に埋もれた顔をどうにか上げて、すこし位置をずらして伯父の顔を見れば、柔らかい髪が夜風に煽られて少しくしゃっとなっていた。
「美鶴くん、熱があるんじゃないかな。すごくあつい」
大きな手が伸びて、火照る頬に触れてきた。
「いえ、大丈夫、です」
美鶴の声が、喉にひっかかって変に高く裏返ったので、伯父は不思議そうに首を傾げた。
「そうかな」
すこし目を泳がせていた伯父が、ふと悪戯を思いついた子どものようにニッと笑って美鶴に囁いた。
「じゃあいいかい、次に打ち上がる色を当てるよ。…白、赤、赤、白、青、赤」
えっ、と驚いて美鶴が空に目をやった瞬間、ひゅるるる…ぱぁん!と『白』の大きな花が闇夜に咲いた。
畳み掛けるように、ぱぱん!どぉん、どぉん!ばらばらばらっ!鼓膜を揺さぶる轟音と共に、赤、赤、白、青、赤の順に完璧に花火が鮮やかに弾けて、ひゅらひゅら消えた。美鶴はその読みに素直に感心し、再び、今度は呆れ顔ではなく神妙なおももちで伯父を見上げた。
「どうして?」
聞けば伯父がとろけるような笑顔で答えた。
「解法を君が考えるんだよ、面白くない?」
面白いもんかと美鶴は心で舌打ちをした。しかしそれでも、なるほどこれは確かに伯父らしい、とストンと納得する。父とよく似た、でも相容れない端正な顔が花火のひかりに照らされてやさしく微笑む、そのワイシャツの肩を無意識に美鶴は握り締めていた。伯父がそれに気づいて、またにこりと笑った。
「美鶴くんに喜んでほしいんだ。何がしたい?」
「なにも…」
何も、したい事なんて。
「何でもいいよ」
答えられなくて黙る美鶴の後頭部を、やわらかに撫でて、肩に寄せて。
「何でもいいよ、言ってごらん」
どこまでも優しい声が、美鶴の耳にじんわりと沁みて、からだを満たす炭酸と交わった。胸がいっぱいになって、頭がぐらぐらして、喉の渇きばかりが感じられた。抱きしめられた肩の向こうの空を仰げば、見上げた先に、ぱぱぱぁん!とクライマックスの花火が踊る。赤、白、青、次々とひかりが咲く。自分のよく知る日本のそれとは、すこし違う。でもきれいだ。とても、きれいだ。
ひかりが沁みて、嗚咽になった。
(夢だ)
だってこんなにも、自分の中が満ちている。
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やっつけ。あとで直したい!
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おまけ←伯父さんこんなかんじのつもり…!