【 ニケの背中 】   
ワタミツで宮原。(※原作EDかつ美鶴が転校してませんが)




 三谷と芦川は、四六時中いっしょにいるわけじゃない。
第一にクラスが違う。小学生にとってクラスの違いは大きい。去年まで親友だった相手とだって、クラスが離れれば一ヶ月で疎遠になってしまうものだ。第二に、行動パターンが全然違う。三谷はほとんど小村と一緒に登下校をしている。芦川は塾のない日は図書室か図書館に閉館ギリギリまで居座るのが常だった。
(以前、芦川も一緒に帰ろうよと誘う三谷を見たことがあるが、可哀想な程ばっさり断られていた)

 芦川はああいう奴だからあまり喋らないし、喋ったところで美しい唇にはダイナマイトが仕込まれている。綺麗な花には棘があるどころじゃない。あれはサボテンだ!もしくはウニだ。だから人気の割に友達は少ない。俺は運が良かっただけだ。だけど三谷は見事なものだ。芦川がまとう鋭い針のあいだを何でもないようにするっとかわして懐に入って、ねぇ美鶴!って呑気な顔して笑ってる。でもそれはもしかすると芦川が、誰にも気づかれないようにそっと、三谷ひとりが通れる分だけ、モーゼのようにウニを切り拓いてやっているのかもしれないのだけれど。

 最近、芦川は少し性格がまるくなったような気がする。出会った頃の鍛えぬいた鋼のような頑なさは形を潜め、人を小ばかにした笑みも精彩を欠いて、ずいぶん柔和になってきた。それに楽しくて笑うことも出来るようになったみたいだ。長い睫毛のかかる黒い瞳をやわらかに細めて、爆弾仕込みの唇をふわり、綻ばせる芦川は、男子から見てもどきりとするくらい綺麗だった。あれはあれで、まずいような気がする。何が、とはうまく言えないけれど。

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「芦川って笑うと色っぽいよなぁ」
塾で一緒になった日に笑い話のつもりで三谷に持ちかけた。
「美鶴?みつるは笑わないじゃん」
三谷がキョトンと目を丸くしたので、あれ?と違和感が胸を掠めた。
「最近だよ、けっこう笑うよ。こう、ニコーッて感じじゃないけど。性格丸くなっちゃってさ、三谷のおかげだと思うよ?」
三谷は神妙なかおをして、手元のテキストをとんとん揃えた。眉間がきゅうっと苦しげに細められたので、
「三谷、どうした?」
と聞けば、
「何でもない、あっプリントの答え合わせしてもいい?」
と、何でもないって顔で返された。

 大ニュース!芦川がさ、きのう中央図書館でさ、女子に告られてたんだって!うちの学校じゃない子!スッゲかわいいんだって!噂は朝から2時間目の休み時間までに、学年中を駆け抜けた。なんだまたかと俺は思った。何しろ芦川の色恋沙汰は、これで何回目か分からない。女の子はどうしてこんなに積極的なんだ。寿命が男より長いってのは伊達じゃない。憮然としたおももちで机に頬杖をつき、本に目をおとす芦川に話しかけたのは、3時間目の休み時間だった。

「もてる男は大変だな」
「まぁな、宮原ほどじゃないけどな」
皮肉っぽくしゃあしゃあと言ってから、付け加えるようにぽそり、
「バカに目をつけられるのも、下らない恋愛ごっこに付き合わされるのも、まっぴらだ」
美少年は吐き捨てた。そういう事を言うと株が下がるぞ、と嗜めたところで、変動しない株価はない、それが自由市場ってもんだろうと屁理屈をこねられるだけなので、黙っていた。しばし待って美少年が小さな声で、好意だって暴力だ、と呟いた。何故か傷ついたように俯く、芦川のつむじを見下ろす。何となく、芦川の言いたいことは分かる。だからやっぱり、俺は黙ってしまうのだ。

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 金曜日。塾が終わると19時で雨が降っていた。傘を持ってこなかった芦川は、三谷と一緒に帰るらしい。その三谷は進路相談で居残りだ。15分程だというので、俺はそれに付き合って、がらんとした教室でふたり、テキストを広げていた。芦川は本当だったら雨なんか気にしない。ずぶ濡れも苦にせず帰る、そういうやつだ。水もしたたる芦川美鶴だ。でも三谷にばれてしまった。あいつは芦川に過保護だ。お前は芦川のおふくろさんか!と言いたくなる時が、たまにある。今日だってこの調子だ。
「まってて美鶴、一緒に帰ろう!ぼくまちがって大きい傘持ってきちゃったから、2人で入れるよ。ちょっ、こうゆう時くらい、やだとか言うなよ!いいよね。美鶴んちに寄って。ね」
芦川は面倒くさくなったのか、はたまた三谷の献身に胸をうたれたのか(多分前者だ)
「わかったよ」
気乗りしない声でそれだけ言って、くるり、背中を向けて座ってしまった。三谷はそれでも嬉しそうに、オッケー待ってて!と小走りで向いの教室へ入っていく。子犬みたいだ。しんと静かになった教室で、芦川と俺は向かい合って座った。

 芦川は無言だった。白い指でテキストを繰って、黙々と問題を解いていく。Uの曲線を描くグラフの傾きの意味も、英数字のもつ値も、俺は今のところ分からない。芦川は知っている。かすがゼミで芦川がこなしている問題集は、既に中学の内容に進んでいた。飛び級があったらこいつはきっと今ごろ中学どころか、高校に進んでいただろう。そしてさっさと大人になって、生まれたときから大人だったって顔をして、あの口端にひっかけた微笑みを浮かべて、ひとり、高みを目指しただろう。

 芦川は自分を持て余している。早く大人になりたい、ひとりの力で立ちたいと、切に願ってる。それは家庭の事情によるものかもしれない。芦川の厄介なバックグラウンドを知らない奴など、学年にひとりもいない。今でこそわざわざ口に出す馬鹿も減ったけれど、当時は大変な騒ぎだったのだから。吹き荒れるどぎつい噂の渦中で、何を言われても当の本人は動じなかった。サモトラケのニケさながらに暴風に向かって立つ芦川はどこまでも強かで、端麗な容姿も手伝って、つまりはそりゃもう、うつくしかった。


 (あぁ、そういえば)
思い出す、その頃だ、9月のはじめ。水切りシートとトイレットペーパーを両手にスーパーを出たら、夕焼けがとてもきれいだったので、何となく遠回りして帰ろうという気持ちになった。三橋神社の側道を、俺はてろてろ歩いていた。神社の敷地をぐるりと囲むマサキの垣根、その隙間を何気なく見遣ると、境内の赤い鳥居の下、向かい合って立っている芦川と三谷の姿があった。おおい、と声をかけようとして、上げかけた声を慌てて引っ込めた。ふたりの様子はちょっとおかしかった。三谷は何があったのかぼろぼろの顔をして、ごめん、美鶴、ごめん、と泣いていた。そして、そのまま芦川を抱きしめた。びっくりした。

 「美鶴と一緒に行かなくちゃ、だめ、だったんだ。願いを、かなえて、一緒に帰って。美鶴に未来を」
自分よりほんの少し背の高い芦川の肩口に、涙でぬれた頬を押し付けて三谷が泣いてた。嗚咽まじりの必死な声が、芦川の黒いトレーナーの肩にこもって、しゃくり上げる。押し付けられたまるい頭を、芦川は面倒くさそうに押しのけようと手をのばしたが、わずかに逡巡して結局、そうしなかった。はぁ、と僅かにくるしく息を吐いて、あとはただ三谷が抱きしめるのに任せた。沈黙が続いた。
「おれはずっと、死にたかった」
幕を引いたのは、芦川だった。サラリともたらされた死という台詞に俺はぎょっとする。芦川のよく通る声が、境内の静寂に響いた。
「だからアヤを生き返らせたかった」
存在意義がほしかったんだ、と芦川は続けた。
「アヤがいれば、おれは全力でそれに縋り付けたはずなんだ。アヤにはおれが必要だ。必要なおれには価値がうまれる」
「美鶴、」
物騒な発言を遮るように、三谷が強く名前を呼んだけれど、芦川は止めることなく言葉を続けた。
「本当に、おれには何もなかったんだ。何もないのはアヤが死んだせいだ、アヤさえ生きていれば、おれは必要なものになれたのに、生きてていいって思えたかもしれないのにって、辛いこと全部アヤのせいにしてた。妄想だ。でも信じてた。アヤを、おれのために生き返らせたかった」
硬質な声は何の感傷も含まない。それがかえって哀しみを増長させた。
「みつ、る。ちがっ…」
「違わない。女神が叶えてくれるのは正しい願いだけだ。おれの自分勝手な妄想なんて、最初から叶うわけなかったんだ」
何の躊躇も後悔もない、明瞭過ぎるまでのそれ。
「でもお前が、未来をくれた。だからいいんだ、もう十分だ」
ゆるりと目を伏せる。そうして聞き取るのがやっとの程のちいさな声で、ぽつりと付け足した。
「ありがとう」

 芦川は見慣れた無表情のままだった。その腕で三谷を抱きしめ返そうともしなかった。なのに、肩口の相手にそそぐ声はひどくやさしかった。芦川の伏せられた黒い瞳にはうっすら水の膜が張って、夕焼けのオレンジを溶かしてゆるゆると揺らめいた。
「美鶴、ぼく何をすればいい。何でもするよ」
「いらない」
「なんか、いって。でないと」
三谷は再びまた芦川のほそい身体をぎゅうっと抱きしめた。芦川は抱きしめられるにまかせて、目を閉じた。嗚咽で震える三谷の肩が、いたましかった。
声なんて、かけられる筈もなかった。


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 「芦川は、好きな子いないの?」
テキストを捲りながら俺は思い出したように聞いてみた。返事はにべもない。
「いない」
「そっか」
まぁそうだろうな、わかっていたけど。そこで終わりかと思ったら、
「宮原は?」
と返されたので、肩をすくめていつもの定型文でお答えする。
「いないよ」
僅かにではあるが社交性を磨いた最近の芦川は、おざなりにでも、そこから相手にも何かを聞き返す。いい傾向だと思う。さて俺も設問に戻ろうとシャーペンを持ち直し、かちかちとノックした時に、芦川がついと顔を上げてこっちを見た。その完璧なバランスの双眸とぴたり目が合ってどきりとしたが、次の瞬間降ってきたのは爆弾だった。
「一番前の席の女子だろう?」
俺は固まった。芦川の唇にひそむダイナマイトを忘れていた!一瞬で焦土と化した空間に、こげくさい沈黙が生まれた。この俺としたことがうまい冗談のひとつも出てこなかった。しっかりしろよ、あんまり無様じゃないか祐太郎!うぅ、と顔を赤くして黙りこくっていたら、芦川は抑揚のない声で、ごめんと小さく謝って、またテキストに目を落とした。芦川に謝られるなんて世も末だ。

 「…なんでわかった?」
観念して訊ねる。関数のグラフから芦川は目を離さなかった。
「見ればわかる。意識しまくっていただろう」
「そうかな。いや、そうかも、でも誰も気がつかなかったのに、凄いなお前。よく見てるよ」
芦川はほんの少し顔を上げて、難しい問題を解いて得意になってる子供みたいな顔をした。
「それに話の振り方が不自然だった。バカだな、宮原は墓穴を掘るタイプじゃないのに、例の告白のこと聞いたんだろ、それで我慢できなくて、おれに探りをいれてきたんだろ?」
図星だ。芦川に告白したという『スッゲ可愛い子』の正体は、塾に来てすぐに分かった。本人からそれを聞かされた。彼女は俺の『君』だった。その好意を暴力だと切り捨てた目の前の美少年は、俺に対してずけずけとものを言ったかと思うと、また何に対してなのか、ごめん、と呟いた。
「でもおれは、いやなんだ」
酷いことをはっきりと、ではない、どこか胸を痛めながら一生懸命伝えようとしている。本音は痛い。それでも嘘はいけないと、芦川の良心が主張する。それを否定することは俺には出来ない、だから頷く。
「うん、わかるよ」
価値は相対的なものだ。メロン嫌いにメロンを無理やり食べさせても、迷惑なだけなのと同じ。俺にとっては喉から手が出るほど欲しい甘さが、芦川にとっては暴力なのだ。それだけの話だ。世界はこんなにもシンプルだ。なのに、なかなかうまくいかない。

 俺がもやもやとしていると、口元に手をやって何かを考え込むような素振りを見せていた芦川がおもむろに訊ねてきた。
「人を好きになるって、どんな気持ちだ」
机に突っ伏した。あああ、何を言い出すんだこのバカは!
「芦川、ほんとかんべんして。俺すごい恥ずかしい」
「ふざけていない。真面目に聞いてるんだ」
淡白ではあったけれど、芦川の声は真剣だった。突っ伏した真っ赤な顔を上げて見返せば、整いすぎた芦川の無表情が俺を見下ろしていた。サラサラした前髪が僅かにかかる、黒いガラスの瞳にじぃっと凝視されてそんな事を聞かれると、説得力があって何も言い返せない。だって、出来すぎじゃないか。

(こいつ、本当にたち悪い)

 女子のハートを軒並みかっさらって、三谷を泣かせて、この俺をさんざん辱めて、まだまだ足りないというから驚きだ。何なんだこいつは。どれだけのものを薙ぎ倒せば気が済むんだ。
「言葉でなんか言えないよ。そのうちわかるよ、お前にも」
顔から火が出そうな思いでそれだけ口にすると、美少年は素直にキョトンとして、そうか、と納得した風だった。そしておもむろにニィッと口端をつり上げ、綺麗な目を細めて、夢見るように言ったのだ。
「楽しみだな」

そりゃもう、破壊神さながらに。


 三谷が戻ってきたのは、それからすぐのことだった。別に私立受けるわけじゃないのにさー、とぶつぶつ文句を言いながら、みつるかえろっ、と朗らかに歌うようにわらって、それからまじまじと俺を見て、
「宮原、耳赤い。美鶴と何の話してたの、エッチなやつ?」
と、こうだ。そりゃもう朗らかに。誰のせいだと思ってる!とりあえず突っ込もうとしたら、芦川のほうが早かった。ばか、と低い声がたしなめるのと、白い手が浮かれた頭をはたくのとが同時だった。みつるってすぐたたく、文句たらたらの三谷が帰り支度をする中、俺は一足早くテキストをまとめ、かばんを肩にかけて教室を出た。俺が「じゃあな」と言うと、三谷が「またね」と笑って返した。芦川は黙って頷いた。引き戸のアルミのドアを閉めて廊下に出ると、雨音はあいかわらずざんざと強い。階段を降りかけたところで、ジャケットを教室に忘れてきたことを思い出した。

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 湿った廊下をぺたぺた歩いて戻ると、教室の中から三谷の笑い声がした。入り口のガラス越しに見てみれば、憮然とした芦川の前で,楽しくて仕方ないって感じで、お腹を抱えた三谷がきゃらきゃら笑ってた。何やってんだと呆れたのもつかの間、そいつが唐突に身を翻し、芦川の懐に飛び込んで、何かをこそっとささやいた。不意打ちをくらった芦川が一瞬かたまって、鼻先の距離数センチの三谷の顔を凝視した。
(わっ)
濃い一瞬。芦川の瞳が、何かしら感情の色を映し出そうとするかのように、混迷を軸にゆらめくのを見た。どきっとした。一瞬、キスすんのかと思った。するわけない。ばかか俺は。うん、でも、なんでかそう思ってしまったんだからしょうがない。だけど、ゆらめくそれが形を整える前に、さっと芦川からの視線は逸らされた。浮かびかけた色彩はかき消され、口付けのかわりに唇が、このばか、と無骨な言葉をつづった。入り込めない雰囲気だった。神社で見たのとはまた違う、ふたりのせかいってやつだった。
(なんだなんだなんだ。まったく)
結局、ふたりがいまだ残る教室に、ジャケット1枚のために入るのははばかられ、見つからないようにそおっと廊下を引き返した。肌寒さにぞくぞくした。どしゃ降りの雨の中を悶々と帰るなんて格好悪いにもほどがある。俺は何をやっているんだ。なんでまた耳があついんだ?

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 芦川は三谷の前じゃ笑わない。三谷のほうをあまり見ない。触れようともしない。嫌いでそうするなら分かる。でもあいつらには当てはまらない。芦川は、遠慮というよりは意識して、三谷とのあいだに距離を置こうとしているように見える。三谷はたぶんそれに気づいてる。芦川が距離を保とうとする理由も、その心も、おそらくは。だから苦しく眉根を寄せるのだ。子犬のように、母親のように、慈しみばかりを注ぐのだ。

 うすい水の膜のはった芦川の目。三谷の前じゃすぐ伏せられて長いまつげに隠される。ぴんと伸びたニケの背がほんの少しだけまるくなる。英知のつまったまるい頭を俯かせれば、みごとに白い首すじがさらされて、それがあんまり細くって、頼りないことこの上ない。こまった子供みたいな芦川なんて、なんだか全然、らしくない。


 『そのうちわかるよ、お前にも』
 『楽しみだな』

 楽しみだって言っただろう、破壊神。


 好意だって暴力だと言った。こころを欺く嘘をきらった。それゆえに、ただ一人にはどうしても微笑みを向けられない、ばかな芦川。何もいらない、そう言って三谷を退けようとする芦川と、彼を強引にやわらかに、ここに繋ぎ止めようとする三谷。ふたりは同じところで繋がっている。相反する何かは、同じものから出来ている。

 うすい胸に抱えた心のかたちは曖昧で、ラベルを貼るのはむずかしい。そんなにも不確かなものなのに、当事者が理屈屋ふたりじゃ、前途はどう考えたって困難だ。でも俺は、それすらも楽しいことのように思うんだ。ごめんな、ふざけてるわけじゃない。いいからグルグル悩んでみろよ、特に芦川、お前だよ。悩んでキレてアクションのひとつも起こせばいい。どうせお前らはうまく行く、ちょっと自慢の俺の勘が告げている。どうにもならない時は助けてやるよ。あとは勝手にやってくれ!どうしようもないお前らの、可愛すぎるマーチを聴かせてくれよ!



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まとまりなくてすみません!色々詰め込みすぎてちからつきた。
元ネタはラブロ●のはじめさんです。