[PR]
チラシ印刷
わたると生きてゆくために、ひつようなことは、
とにかく生きていかなくちゃならないってことだ。
鶏が先か卵が先か、何でもいいどうでもいい。
死んだら一緒にいられない。
父はそれを誰にも渡したくない一心で、
妹を道連れに母を殺して自分も死んだ。
それで彼らは一緒にいられたか?答えはノーだ。
あれほどの犠牲を払っても、彼らは別々に埋葬され、
死んでもなお一緒にはなれなかった。
父のしたことは何だったんだ、無駄死にだ、馬鹿馬鹿しい。笑えない。
死んでも人は思い出の中に、心の中に生き続けると人は言う。
良くも悪くもそれをおれは知っている。
おにいちゃん、と舌足らずにおれを呼ぶアヤの声を、
母のにおいを覚えている。それは幸せな夢のかけらだ。
父もいまだに生きている。
何度も何度も想像の中で、首を絞めて突き落として殴り殺した父は、
にやりと笑って今も玄関の内側でおれの帰りを待っている。
夢の中、何度も何度も数え切れないほどおれはそのドアを開けた。
もういない筈の父が、今度こそ止めを刺してくれることを祈りながら。
扉がひらく瞬間に決まって目が覚める。
どこまでも白い朝のひかりが、
もう誰のものかもわからない深い罪を照らし出す。
生きていなくちゃいけない。
命を終えれば灰ものこさず人柱に戻るだけだと知っている、
おれの命は、わたるのものだ。
生きているから、わたるといられる。
いつかは終わりがやってくる。
別れをおもうのは、ほんとうは、今でもこわい。
それでも、わたるといっしょにいたい。
おまけ伯父ミツ:
『美鶴くんは、いく時どうしてお父さん、て騒ぐのかな』
荒い息のおさまらない身体の上で、伯父は可笑しそうにわらって、
ひとごろしのお父さんを、君は愛しているんだね、
あまり趣味の良い事ではないけれど、
それが肉親の情というものなんだろうね、美鶴くん。
ひとの胸をずたずたに切り裂く台詞を事も無げに口にして、
火照って汗ばむ額にやさしい口付けを落とした。
-----------------------------
テキストアンソロの没原稿集。