【 Snow flakes :1 】
おそろしい男だった。
妻と幼い娘とどこかの男をめった刺しにしてころして逃げて、
自分は数日後に遠くの海に入って、死んだ。
ワイドショーのリポーターは
「何故このような陰惨な事件が起こってしまったのでしょう」と
七月の熱気に顔を赤らませ、声を弾ませ報道し続けた。
事件現場となった川崎のマンションや、気の毒な被害者たち、つまりは「あばずれ」と「間男」と「あばずれの長女」の顔写真や、崩壊した家族が微笑む、幸せそうなスナップ写真。(5月の連休に水族館で撮られたものだった)さまざまな非難と嘆きを増長させる画がこれでもかとばかりに流されて、視聴者のうすぐらい好奇心を誘った。自殺した極悪犯とその妻は、街ですれ違ったら10人が10人振り返るような美男美女だった。それが余計に世間の興味をそそり、悪口の格好の餌食となった。
どこかの局がいいものを拾ってきた。生き残った男の子が、2ヶ月前の授業参観で書いた作文だった。「お父さんは、とってもやさしいです。サッカーも、さかあがりも、お父さんがおしえてくれました。ぼくは大きくなったら、お父さんみたいな人になりたいです。」事件から数日後に執り行われた母と妹の葬儀の席で、妹の遺影を抱えて呆然と立ち尽くす幼い生存者の姿は、彼の拙い作文と共に悲愴なナレーションつきで放映された。見えない誰かの狙い通り、視聴率は上々だった。
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ひとごろしの父は、静かでやさしいひとだった。ぼくたちを、そして特に母を、とてもとても愛していた。父にとって母が特別なことはあきらかだった。父はいつでも、母ばかり見ていた。
夜おそくに帰ってきて、ダイニングテーブルに母と向かい合って座り、温め直した手料理を食べる父の、横顔ばかりを覚えている。
「みつるが今日も、教室で誉められたの。わたし嬉しくて」
知能テストの成績がどうだった、バイエルでマルをいくつもらった、と自分のことのように喜んでぼくの話ばかりする母を、父は可愛くていとしくてしょうがない、といったおももちで決まってうっとり見つめていた。
ガラスのドア越しに見えた父の横顔があんまり幸せそうで、毎晩、おかえりを言うために起きてはみるけれど、ぼくは一回だってそのドアを開けて「おかえりなさい、おとうさん」と言うことはなかった。なんだかよくわからないけど、声をかけちゃだめだと思った。もしドアをあけたら、いまダイニングをいっぱいに満たしている息がつまるように美しい何かは、きっと損なわれてしまうだろう。直感だった。美しい何かは、とても気持ちよくふわふわしたものだけど、たやすくぱりんと壊れてしまいそうに見えた。
勘のいい子どもだったと、思う。
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彼はきょとんとしていた。サッカーボールを大事に抱えて河川敷を走って、確かにマンションへ帰ってきた筈なのに、気がついたら病院のベッドの上にいたからだ。窓の外はすっかり夜のいろに覆われていて、何時なのか見当がつかない。昼寝から覚めたときのように少し頭がずきずきしたが、他には特に具合の悪いところがなかったので、からだを起こして周りを見まわした。テレビで何度も見たような、つまらない病室だった。そこではじめて、自分が白いコットンの寝間着を着ていることに気がついた。見おぼえはない。いつ着替えたかも思い出せない。河川敷から先の記憶が、すっぱりとハサミで切ったように抜け落ちていた。
冷房が効いているはずなのに、からだはおびただしい汗で濡れたように湿っていて、コットンの寝間着が背中にはりつく様がとても不快に思えた。着替えたい、おふろ入りたい、お水がほしい。そう思ってはじめてふと、当たり前の誰かの不在に気がついた。誰かを探して部屋を見回すと、壁にかかっている学校のものと似た時計が目に入った。針は20時を指している。
(あっ、ピアノ休んじゃった)
しまったと焦ってから、よくよく考えてみれば今日は誕生日だから、ピアノを休んでいいよと言われていたのだ。それを思い出してほっとする。
『お誕生日はピアノ休んでいいから、ちょっと遠くにおでかけしようね、お父さんは出張だから、お母さんとあやちゃんと、それから…ねえみつる、だいすきよ。みつるも、お母さんのことすきだよね?』
母がすこし悲しそうにそう言ったとき、何が悲しいのだろうと不思議に思ったものだけど、お出かけという嬉しさが勝ってあまり気にも留めなかった。しかし、おそらくおでかけは中止されたのだろう。自分がここにいるのだ。母が自分を置いて行ってしまう筈はない。だって約束した。
『みつるは優しいものね、お母さんといっしょに行ってくれるよね?』
『うん、おかあさんといく。でもどこに?』
『ありがとう、いいこね。お出かけのこと、お父さんには内緒よ。約束よ』
『うん、約束する。でも、どこに?』
くるり、もう一度部屋を見渡した。
「お母さん?」
呼びかけか、つぶやきか、わからない掠れた声が、しろい病室にぽつりと響いた。
翌日の朝から、医者と警察と会ったことのない叔父に囲まれて、彼は漠然とした事件の概要を知らされた。どれくらい漠然としていたかというと、
「お母さんと、妹さんは、亡くなりました」
「お父さんは行方不明です。今、警察が捜しています」
「君はお葬式の日までここにいることができます」
「ショックだろうけど、落ち着いて。頑張るんだよ」
そのくらい大雑把で、到底受け入れられないものだった。彼も例に漏れず、おとなしく頷いてはいたけれどその実何ひとつとして理解はしていなかった。いくら利発だと誉めそやされてはいても、陰惨な突然の死とそれにまつわる事情を自分のものとして理解するには、彼はまだ幼かった。
そしてその後の2年間、誰も彼の身に起こったことの詳しい説明をしてくれなかった。
「子どもにはつらすぎる事だから、このまま忘れてしまった方が幸せなんだ」
という大義名分のもとに、親戚間で忌まわしい事件はなかったことされ、一連の出来事に関する言葉は禁句となった。残された子どもはじきに事件のことなど忘れてしまうだろう。そうでなくても、たかだかひとりの子どもが行き場のない悲しみを抱えて生きていけばいいだけの話だ。
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母と妹の葬儀の日。ふたりの眠る棺を目の前にしても、一向に現実感がわかなかった。死についての無知が、それらの受け入れを拒んだ。幼い愛くるしい遺影を抱えて、促されるままに車に乗り込もうとした時制止の声を振り切って、まぶしいフラッシュが焚かれた。彼はおどろいて、そちらを見た。大勢の見知らぬ大人が、斎場の門前で彼を待ち構えていた。隣にいた叔母だか伯母だかわからない誰かが、早くしなさい、立ち止まらないで、と彼の背中を押して急ぎたてた。
(これは何だ)
葬儀も、喪服も、報道陣も、全てが初めて経験することばかりで、彼の頭は混乱をこえて停止した。
(こわい)
スウッと視界が色を失い、頭の中にぶら下がっている電気のコードが勢いよく引っ張られた。気を失った。またフラッシュが焚かれた。
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再び入院し、何日かたって退院してみると、彼を取り巻く環境は大きく変わっていた。わけもわからぬまま連れて来られた叔父の家から彼は何度も逃げ出しては、川崎の自宅へ戻ろうとした。駅で、あるいはロープのかかった自宅の玄関前で座り込んでいるところを警察に保護され、叔父の元へ戻されてはひどく叱られ、たたかれた。
彼は手を上げられることにも、声を荒げられることにも慣れていない、たいせつにやわらかに育てられた、ただの子どもだった。剥き出しの悪意がいたくて、おそろしくて、それらから逃れようと必死で、お母さん、たすけて、お母さん、と母親を求めてちぎれるように泣いては、さらに酷くたたかれた。そんな日が何日も続いた。まっしろな頬は腫れ上がり、華奢な身体は痣だらけになった。からだも痛かったけれど、それよりももっと、絶望に満ちたこころが軋んで、呻いて、悲鳴を上げた。その悲鳴すらも尽きた頃、いたみとかなしみに麻痺した頭で、彼はようやく悟った。
(置いていかれた)
もう涙も出なかった。
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(みつるは、つよいこね)
道で転んで泣かなかった。
その程度の強さでも、褒められた。笑い話だ。
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ひとつ絶望を乗り越えた彼は、強かになった。その後の順応の早さは恐ろしいほどだった。泣いてる場合じゃないんだよと無残な現状を受け入れ、その中で自分がすべき事を考えた。
(お母さんと絢は、死んだ)
(お父さんは、行方不明)
(帰れない)
ひとつひとつ、彼は自分に言い聞かせた。絶望を悟った日の夕方、彼は二階の小部屋でひとり、寝転がっていた。心はひどく静かだった。とてもおそろしいことがあったのだ。叔父たちは毎日ひどく苛立っている。幼い子どもとその母親の死を悼む風にも、行方不明の兄弟を案じている風にも、絶対に見えない。つまり、おそろしいことは、進行中なのだ。まだ終わってはいないのだ。
ここに来て最初の夜に、二階から降りて来ては駄目だと言われた。窓を開けてもいけない、電気をつけてもいけない。お前の存在を外のやつらに勘付かせてはいけない。あの日、斎場の門前でフラッシュを焚いた「やつら」は、今も窓の外で粘り強く「何か」を待っていた。そのうちひとつはきっと、自分の姿を捉えることだった。でもそれだけじゃない。何かの訪れ、何かの知らせを待っている。そう思う。
己の身に降りかかる強い悪意の発端が、自分の両親にあるらしい事は窺い知れた。亡くなった母と、行方の知れない父が、ひどく責められるべき罪を犯したのだ。かわいそうな妹は、それに巻き込まれて命をおとした。両親の犯した罪に、妹は殺された。そして生き残った自分はおそらく、その罪に叔父たちをも巻き込む危険をはらんでいるのだ。だから、悪意を向けられる。たたかれる。そう、解釈した。では、悪意を少しでも逸らすために、どうすればいいだろう。山ほどの「何故」と「何か」は今にわかる。それは近いうちに、否応なく押し寄せてくる。だから訊いてはいけないよ、たたかれる口実を作ってはいけないよ。ゆっくり、自分への言いつけを心の中で反芻する。
できるだけ従順でいよう、おとなしくしていよう。
叔父たちの意向に逆らってはいけない、
家族のことを口に出してはいけない、
そうすれば、そうすれば。
(そうすれば、何?)
自問自答すると、心臓がきしきし、切なく痛んだ。おかしかった。人の心は脳にあると、ちゃんと本で読んでいる。知っている。心なんて、そこにはないのだ。なのに、そこがぎりぎりと軋んで、痛んで、やぶれそうだった。両手でぎゅっと胸をおさえて、何度か息を吐き出してこらえる。自分で自分を抱きしめる格好のまま、ごろり寝転がって夕闇にこだまする蝉の声に耳を澄ました。ねぇ、すこし休んだほうがいいんじゃない、という本能の声に従って目を閉じる。
(かなしくない)
(いたくない)
(こわくない)
(だから、大丈夫。大丈夫)
戒めをくりかえしながら、眠りにおちた。
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歪みは顕著にあらわれた。端正な顔から表情が剥がれ落ちた。たたかれても何も感じなくなった。聞きたいことと、そうでないことを、聞き分けられるようになって、世界はとても静かになった。眠れなくなったが、悪夢は消えた。声を出すのがむずかしくなった。ものの味がわからなくなった。方々をたらい回しにされながら、亡霊のように2年間を、ただ、生きた。
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